山下達郎について(後編)
POCKET MUSIC(1986)
オリコン最高位1位、年間チャートでも10位にランクインした8thアルバム。ぶっちゃけ「この作品、そんなに売れてたんだ」って印象が強い。いや、だってこれ、『MOONGLOW』とタメを張るレベルで地味な作品でしょう。
アナログレコーディングからデジタルレコーディングへの移行を余儀なくされて悪戦苦闘を……みたいな話は本作を語る上で避けては通れないトピックなんだけど、ここではムーンリヴァーを渡るようなステップで乗り越えていくことにする。「理想の音が鳴らない」ということがどれほど苦痛だったか、素人である自分には知る由もない。
『THE WAR SONG』という曲がある。タイトルから分かる通り反戦歌だ。「歌声はあくまで楽器の一部。言葉の意味よりもメロディとの調和を重視する」という洋楽的なアプローチで作詞作業をする山下達郎が、こういったメッセージ性の強い楽曲をドロップすることは珍しくて、それだけにこの曲に込められた思いに胸が締め付けられる。
僕の中の少年(1988)
99年にファンクラブ内で実施された好きなアルバムアンケートで1位に輝いた9thアルバム。たしかに『Ride On Time』や『FOR YOU』のような爆発力はないけど全体がコンセプチュアルにまとまっていて何度も聴きたくなる作品だと思う。あとは『蒼氓』という達郎の私的内省の極地が存在していることが大きいんじゃないかなぁ。この楽曲の凄まじさについてはいつか単独でエントリを書いてみたい。たぶん無理だけど。もしかしたら自分もいちばん好きなオリジナルアルバムを問われたら本作を挙げるかも知れないな。唯一の日本語タイトルっていうのも良いよね。
ここ数年は『マーマレイド・グッドバイ』が特に気に入っている。ミニマルで臨場感のある演奏と艶やかで伸びのあるハイトーンボーカルが極上のメロディーで昇華される感覚がたまらない。曲構成も変わっていて、Aメロ→Bメロ→サビ→Bメロ→サビときて、Cメロを期待させるサックスソロの転調が入り、いよいよ盛り上がりそうなところで不意にフェードアウトしてしまう。やばい。余韻やばい。別れを告げた主人公の入り混じった複雑な気持ちを、あえて描かないことで聴き手に委ねるという何ともテクニカルな演出。最高。
少し錆び付いてた
イグニッション掴んで
僕は此処を出ていく
そうだね
戻ってはこない
探してる夢が此処には無いから
御覧 雨が止んだよ
走り出すのさ Baby
♯マーマレード・グッドバイ
リゾートミュージックと決別してシンガーソングライターとしての自己表現を選んだことを、これ以上ないほどドラマティックに描き出した歌詞も見事としか言いようがない。
ARTISAN(1991)
私的内省の極地となった前作で生みの苦しみを味わい、再び職業作家的な曲作りに回帰した10thアルバム。この作品から現在に至るまではわりと地続きな感じがするな。アーティスト(=芸術家)ではなくアルチザン(=職人)、という音楽的矜持を冠したタイトルは山下達郎の二つ名として今日でもよく使われている。
90年代以降の達郎を「メディアタイアップとか商業的な音楽ばかり作っていて中身がない、音楽的にも同じことを繰り返していてマンネリだ」と批判する人もいる。言わんとすることは分からんこともない。前衛的なスタイルで魂の叫びを表現するロックバンドはそりゃまぁ結構だけども、それでも俺の人生における全ての音楽体験の中で、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010で聴いた『さよなら夏の日』(第一生命のCM曲)が最も感極まった瞬間だったことは疑いようのない事実なわけで。あの日、あの時、あの場所で、あの曲を歌われたらそりゃ泣くよっていう。『Ray of Hope』リリース時に菊地成孔がインタビューで語ってた内容そのまんま。
さっき言ったように、DISる気満々で立ち向かったとするじゃない、このアルバムに。いくらでも批判できると思うわけ。「いつ聴いても同じだよ」とか「全然新鮮じゃねえよ」とか。でも口でそう言いながら、聴いてるともうダメ。感動しちゃって。
参りました、すみませんでしたっていう。こんなにタイアップ曲だらけでビジネスライクなアルバムなのに、こんなに感動させられるんじゃもうしょうがないじゃない? ジョン・レノンがやってたことはなんだったの?と思うくらいの(笑)。まあそういう意味ではさすが山下達郎ですよ。本当に素晴らしいアルバムだと思いますね。
圧倒的なクオリティによって問答無用でハートを揺さぶってしまう、もはやポップ・ミュージックによる一種の暴行。
COZY(1998)
前回のエントリ冒頭に書いた通り、俺が人生で初めて買ったCDアルバム。ただ、リリースを待ち望んでいて発売日に買ったとかそういう感じではなかった。ある日たまたま立ち寄ったCDショップでなんとなく緑色のジャケットに惹かれて……あれ?緑色のジャケット?……そうだ思い出した。俺が買ったのはクリスマス仕様の期間限定パッケージだったんだ。
これこれ。てことは俺が今作と出会ったのは中1の冬、リリースから数ヶ月が経ってからのことだったんだな。もしかしたら山下達郎でこのジャケットってことで『クリスマス・イブ』が収録されていると勘違いして買ったのかも知れない。当時の俺にこの作品や山下達郎の素晴らしさが分かっていたとは到底思えないのだけど、それでもよく聴いてたっけ。これを聴いてる自分がすごく大人っぽく見えたんだと思う。
『ヘロン』は彼の全楽曲の中でも特に好き。新しいヘッドホンや音楽プレーヤーを買ったとき、まず『ヘロン』のゴージャスなサウンドを聴いてみる、という行為が自分の中で慣例になっている。あと『ドーナツ・ソング』と槇原敬之『君は僕の宝物』のせいで、中学時代は「女の子とドーナツ屋に行く」という行為にめちゃくちゃ憧れたなぁ。自分の生活圏に24時間営業のドーナツ屋がなくて都会を羨ましく思ったっけ。今ではすっかり『セールスマンズ・ロンリネス』だ。あと『ドリーミング・ガール('98 REMIX)』のMVのさとう珠緒には何度かお世話になりました。
SONORITE(2005)
7年間のインターバルの間に、これまでに紹介した過去のディスコグラフィをひととおり聴き漁り、満を持して発売日に購入した12thアルバム。当時、遠距離恋愛していた彼女も達郎ファンで、発売当日にスカイプでお互いの感想を語り合ったのが懐かしい。
ラップあり、レゲエあり、カンツォーネあり。良く言えばバラエティ豊か。悪く言えば統一感皆無。個人的には「老い先も短いだろうから、今までやり残したこと片付けとくか」という残務処理のような印象が強くて苦手な作品だったりする。現役感がちょっと薄れてしまったというか、今作からは「余生」という二文字が浮かんでしまう。アルバム通して聴いた回数はたぶん数回しかないんじゃないかな。
でも『MIDAS TOUCH』と『FOREVER MINE』はめちゃくちゃ好き。『MIDAS TOUCH』はいまだにオールタイムベストアルバムに収録されなかったのは納得がいかないもの。『忘れないで』より断然こっちでしょう。中盤でサックスソロが入るタイミングとか何度聴いても鳥肌が立つ。『FOREVER MINE』のMVは初めて観たとき衝撃的だったっけ。
Ray Of Hope(2011)
アルバム制作中の3月、日本人にとって忘れられない大災害が発生。某映画主題歌として2010年に発表していた『希望という名の光』は、復興のテーマソングとして全国のラジオ局でオンエアされ、被災者に希望と励ましを与え続けた。もともと「ポップミュージックは大衆への奉仕である」と語っていた達郎は、まさに音楽が作り手の意図や思いを超えて聴き手のものになる瞬間を目の当たりにして、アルバムのタイトルや一部内容を変更したという。
『希望という名の光』がライブ演奏される際、間奏に『蒼氓』の一節が挿入されることが多い。私的内省の極地であると前述した『蒼氓』の歌詞にここで視線を落としてみる。
遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
ちっぽけな街に生まれ
人混みの中を生きる
数知れぬ人々の
魂に届くように
凍りついた夜には
ささやかな愛の歌を
吹きすさんだ風に怯え
くじけそうな心へと
泣かないで この道は
未来へと続いている
♯蒼氓
時に商業的と揶揄されながらも貫いた確固たる信念、山下達郎という音楽家の存在意義は、未曾有の大災害に打ちひしがれる数知れぬ人々の魂に『希望という名の光』として届いた。これほどエモーショナルな出来事があるだろうか。ここまで書いたところで『Ray of Hope』について何も語ってないんじゃないか、と気付いてしまったんだけど、もうどうでもいいか。
後編まとめ
すでに9年も新譜リリースから遠ざかっていることに愚痴の一つも零したくなるけど、ここまで「音楽の持つ根源的な力」を提示されてしまうと、ただただ「どうか長生きしてください」としか言えない。