ストレンジカメレオンによるMAZDA3考

自分たちの世代だと正直あまりピンとこないけど、だいたい50代以上だとマツダという企業に対して芳しくない印象を持っている人が多かったりする。「とにかく値引きして販売する2流メーカー」「トヨタや日産のクルマに手が届かない貧乏人が行き着く妥協品」といった具合。買うときも売るときも安いためにマツダ車から抜け出せなくなる「マツダ地獄」なんて言葉もあるほど。

「同じクルマをトヨタが販売すれば大ヒットするだろうに」

これも常套句らしい。自信を持って世に送り出すマツダにしか作れないクルマの最大の足枷が、他ならぬマツダ車であること、という悲哀。 なんともやるせない。

マツダ自身も、かつて「アンフィニ」「ユーノス」「オートザム」などと企業名をボカした販売チャネルを立ち上げることで自社のブランドイメージの貧弱さを克服する……というか誤魔化そうと試みたことがあったという。近年で言うとワタミグループが「和民」という名前を使うことなく手を替え品を替え様々な店舗を経営してるけど、そんな感じかな。で、結果はというと、経営戦略における大失敗例として今でも語り草になるほどの黒歴史だったりする。そりゃそうだ。

 

10年ほど前に経営危機に陥ったマツダ。社運をかけて開発したスカイアクティブテクノロジーを搭載したCX-5で起死回生の復活を遂げ、その後はクリーンディーゼルや魂動デザインが国内外から高い評価を得ることに成功。そして2019年、Cセグメント主力車種であるアクセラの後継機種として満を辞して登場したのがMAZDA3だった。


別段、クルマ好きでもなければマツダファンでもなかった自分ですら、ここに書いた経緯をあらためて知った上でMAZDA3という車名と「MAZDAという名のクルマが走り出す」というキャッチコピーを見ると思わずグッときてしまう。自分の愛する子供に偽名を与えるほどのコンプレックスを抱えて卑屈だった彼らが、とうとう何の衒いもなく「これは我々のクルマです」と宣言をした。その圧倒的なドラマチックに、崇高な矜持に、胸が高鳴らずにいられない。

ただ、ここまで書いといてアレだけど、このクルマはそんなに売れないと思う。たぶんね。後部座席の居住性だったり後方視界といった部分ではカローラスポーツインプレッサに大きなアドバンテージがあるし、燃費は当然コンパクトカーに敵わない。セカンドカーとして趣味に振り切るならロードスターやS660があり、ファミリーカーならSUV一択だろう。結果的に、MAZDA3を購入するのは、ごくごく限られた人種に限られる。つまりそう、俺みたいな、確固たるアイデンティティもないままに「自分がどんなクルマに乗ればいいのか分からない」「でも良いクルマには乗りたい」っていう漠然とした思いを抱えている人。もちろんそうじゃない人も買うだろうけど。でもやっぱり俺みたいな希少な人にこそMAZDA3は「これは自分のためのクルマだ」と光り輝いて見えるんだと思う。なんだかthe pillowsを聴いているような感覚だ。

見なよ これが僕の翼なんだ

まだマトモには飛べなくて

昨日バベルの塔に近づきすぎた

今日も探してるんだ

僕にもっと似合うシンプルスカイ

風と君を呼んでここじゃない世界へ逃げよう

僕の姿ちゃんと見えるのは

もうキミだけしかいなくて

だから本当の顔で歌うよ

Hello

マツダが「これは我々のクルマです」と胸を張って送り出すMAZDA3が、一部の人間に「これは自分のためのクルマだ」と受容される、このアイデンティティの合致こそが「美しく走る」ということの本質ではないだろうか。

今後、アテンザはMAZDA6として、デミオはMAZDA2として、それぞれ走り出していく。日本で親しまれた愛称から無機質な車名に変わってしまうことに抵抗を感じる人もいるだろうけど、個人的には今回の英断に拍手を送りたいと思う。