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Singer Song Tiger

KANの『TIGERSONGWRITER』を紹介するよ。

TIGERSONGWRITER

TIGERSONGWRITER

 

1. Songwriter

流麗なピアノアルペジオの旋律が美しいKANのキャリア屈指の名曲。『Summer, Highland Falls』(ビリー・ジョエル)に強い影響を受けて作った曲として、『秋、多摩川にて』『小羊』『小さき花のテレジア』と並んで「多摩川サウンド」と自ら総称している。バラエティに富んだKANの音楽の中でも核となる音楽性と言っても良いんじゃないかな。なんでも出来る器用な人だけど、基本はピアノの人だからね。

「多摩川サウンド」の4曲は歌詞の傾向も似ていて、いずれも人生観や表現者としての決意といった内省的なものが歌われている。『Songwriter』のクライマックスにおける

I'm a songwriter ピアノを叩き

繰り返す表現のみが 唯一存在の意義です

というフレーズは特に象徴的。彼の音楽家としての矜持を感じずにいられない。歌い出しが完全に『The Entertainer』(ビリー・ジョエル)で思わずニヤリ。

 

2. 長ぐつ

飾らない言葉とシンプルな演奏でさらりと歌う2分半ほどの短いラブソング。うっかり聞き流してしまいそうな地味な楽曲だけど、個人的にはKANの魅力が詰まった一曲だと思う。丁寧なコーラスワークも良い。メレンゲのクボケンジもライブでカバーしたらしいね。なんだろう、めちゃくちゃしっくりくる。

ちなみに、クラシックピアノを勉強し直すためにフランスの音楽学校に留学した際、自己紹介がわりにクラスメイトに披露したのがこの曲だったとか。


3. サンクト・ペテルブルグ~ダジャレ男の悲しきひとり旅~

失恋してパリに傷心旅行に行く曲。コミックソングのようなタイトルで、まぁ実際に歌詞はダジャレだらけなんだけど、それがまた主人公の悲哀を効果的に浮き彫りにしてくる。この泣きながら笑ってる感じ、堪らなく愛おしいな。曲自体はサウンドもコーラスもメロディもポール・マッカトニー風。めちゃくちゃクオリティ高いと思う。

そもそも、ビリー・ジョエルスティービー・ワンダーポール・マッカートニーといったミュージシャンたちを元ネタとして楽曲を生み出していく彼の音楽スタイルそのものが極めてダジャレ的なんだよね。単なる模倣に終わらず、これまたKANのオリジナリティを効果的に浮き彫りにするという構造。


4. SAIGON

というわけで次の曲はマイケル・ジャクソン。モロに『Heal the World』な演奏時間8分近くあるスケールの大きいナンバー。全英詞で、歌い方まできっちり似せてくるあたりが潔い。

KANのマイケル・ジャクソン曲では『甘海老』(アルバム『弱い男の固い意志』収録)が一番好きだなぁ。アウトロの完全なりきりフェイクからの『その目はやめろよ』が切なすぎる。


5. Oxanne-愛しのオクサーヌ-

このアルバムで唯一、盟友・小林信吾がアレンジに関わっていない楽曲。『She Loves You』の頃のビートルズのような軽快な8ビートで、意識的にライブで演奏することを念頭に置いて作られたと思われる。ミスチル桜井和寿もコーラス&ギターで参加してるけど、うーん、なんとも贅沢な使い方というか無駄遣いというか。仲が良いのは伝わってくる。

ちなみにタイトルはポリスの『Roxanne-愛しのロクサーヌ-』のパロディ。その名の通り人妻への軽薄な求愛が朗々と歌われる。1998年というと桜井和寿ギリギリガールズ吉野美佳とズブズブの不倫関係にあった時期のはずなんだけど、よくこんな曲に参加したな。

 

6. 月海

歌詞の暗さにおいて『情緒』と双璧をなす絶望ソング。 冒頭で

すべては運命だと割り切ってみるにはまだ若すぎる

と歌ったかと思えば、2番では

すべては永遠だと信じられるほどの若さはもうない

と打ちひしがれる。割り切ることも信じることも出来ず、月が揺れる海をただ眺めている、という超シリアスな歌詞。さっきまで「奥さ~ん」連呼してたし、この次は「ドラドラ」連呼する歌だぞ。躁鬱病か。


7. ドラ・ドラ・ドライブ大作戦-トラ・トラ・トラどし大先輩-

バンジョーが軽快に鳴り響くカントリー調のコミカルな一曲。随所に挿入される合いの手はファン以外の人が聴いたら引いてしまいそうな内輪向けネタなんだけど、何が恐ろしいって、この曲、『MAN』『涙の夕焼け』『Songwriter』に続く23thシングルだったりする。怖いものなしかよ。

コミカルすぎる。以前見た別テイクでは、KAN自らスティールパンドラムを演奏しているかと思いきや実は焼きそばを作っていた、というフリーダムっぷり。


8. Song of Love-君こそ我が行くべき人生-(英語版)

そしてまた真面目になる。(英語版)とあるけど日本語版は存在せず、本人曰く

最初に英語が浮かんで、日本語の歌詞が書けないまま「もういいや、これで出しちゃおう」と思って「英語版」って言って出したんですよ。

とのこと。『長ぐつ』を英語詞にしたような、平易な言葉で愛を伝える素直なラブソング。メロディと譜割りが気持ち良い。この人の多少ケレン味のある歌声は英語に向いてる気がするな。

終盤に『Silly Love Songs』(ウィングス)~『MY LIFE』(ビリー・ジョエル)~『You are the sunshine of my life』(スティービー・ワンダー)~『geogia on my mind』(レイ・チャールズ)の一節を繋げて歌うというド直球なオマージュも。


9. 君を待つ

KAN版『春よ、来い』といった趣のバラードで〆。後の『世界で一番好きな人』にも通じるような、ひねりのないスタンダードナンバー。普通はこれをシングルに持ってくるよなぁ。まぁ普通じゃないからこそ自分を含めてファンから長く愛されてるんだろうけど。

 

全9曲。シリアスとコミカルが渾然一体となったカフェオレのようなアルバム。どの曲も「こういう曲を作ろう」という明確な意志が感じられ、KANの音楽職人的な側面が窺い知れる。そう、極めて職人的なのだ。楽曲制作に関して「アイデアが閃いた」とか「メロディが降りてきた」といった発言をするアーティストもいるけど、彼は「ピアノの前に座ってウンウン唸りながら作る」タイプだね。山下達郎と同じ。

三枚目なキャラクターのイメージが強くて、ふざけた曲も多いけど、いざというときには悩んでいる背中を3000円でそっと押してくれる。泣いたり笑ったり、ある意味すごくリアルな存在感。「ピアノを叩き繰り返す表現のみが唯一存在の意義」とまで言い切るソングライターの面目躍如のアルバムだと思う。名盤。