パンクは上手く踊れない

NOT WONKの新作に対する某誌のレビュー記事を、所属レーベルのtwitterアカウントが

あまりの不理解とテキトーさに激しく憤りを覚えている。感性が死んでいる。知ったようにアラフォー人気なんて書いてるがそこまででもない。興味が無いなら近寄らないでくれ。クソッタレ。

自分の思い上がった経験則だけで語っていてバンドの本当に見ているものを安易に縛り付けてて実際に現場でキラキラと鳴らされている事が完全にスルーされてしまっている。その文章からはバンドから放たれるモノとは大きくかけ離れたしょうもない懐メロしか聴こえてこないぞ。真意とは完全に別。迷惑だ。

と激しく非難した件。個人的には「ミュージシャンが作品に込めた真意とか意図なんてクソどうでもいい」と思ってる性質なので雑誌側の肩を持ちたくなる。フラカンに倣って言うなら「感じることが全て 感じたことが全て」じゃないか。自分の思った通りに受け取ってもらえなかったから相手が不理解でテキトーだ!なんて、ちょっと、ねぇ。子供じゃないんだから。そんなに真意を正しく理解して欲しいなら前説でも収録しとけよ、と意地悪なことを思ってみたりもする。「パンクロックは用法用量を守って正しく服用してください」ってかい。

なんだろう、あまりよく知らない女の子に「僕はあなたのこんなところが素敵だと思う」とラブレターを送ったら、その子の父親が出てきて「娘はそんな女じゃない。お前は感性が死んでいる。興味が無いなら近寄らないでくれ。クソッタレ。迷惑だ。」と罵倒されたようなモヤモヤ感。そりゃお前のほうが彼女について詳しいだろうけど、いや、でも俺のこの「好き」って気持ち、どうしてくれるの?って話。

音楽に限らず、エンターテイメントを享受して、その作品について自分なりに思いを馳せてみる、その極めてパーソナルな行為こそが尊いんじゃないの。誰かの作品に、自分自身の思いが乗っかって、そこで初めて特別なものになるのでしょう。山下達郎は自身の作品の聴かれ方について

歌っていうのは自分の手元を離れた後に意味合いを変えて、聴く人の意志が加わるもの

このように語り、本来は映画の主題歌として書き下ろした『希望という名の光』が東日本大震災直後にラジオリクエストが急増したことを受け、近年のツアーでは復興テーマソングとして積極的に歌っている。君の歌は僕の歌ってのはこういうこと。

とまぁ、雑誌側の肩を持つ意見をつらつらと書いてきたけど、NOT WONKの新作は素晴らしいと思うし、俺は別に雑誌の該当レビューと同じ意見というわけでもない。噛み付いたのが本人じゃなくて所属レーベルのtwitterアカウントなので、ある意味ではミュージシャン思いの良いレーベルだなぁと思ってたりもする。はて。何が言いたかったんだか。とりあえず、今夜一人でパンクを上手く踊りたい。