あなたの声が聞こえた気がした

AVマニアだった父親のおかげで、昔からデジタル家電には恵まれていた。高校生の頃、当時まだ珍しかったHDD&DVDレコーダーとハイビジョン放送対応プラズマテレビが自室に与えられ、充実したAVライフを送っていたのを覚えてる。

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たぶんこの2機種だったと思う。サッカーやYMO関連の番組を録画しまくってDVD-RAMにダビングしてたなぁ。正月の深夜に放送された『ラスト・エンペラー』、CMがアホほど多くて泣きながら編集作業したのを思い出す。しかし、この2台だけで50万円は下らなかったんじゃないだろうか。32型テレビとブルーレイレコーダーが10万円で買えてしまう現在からは考えられない。

オーディオに関しても同級生よりハイソなものを使っていた気がする。時はMD全盛。ダブルMD搭載コンポでオリジナルMDを作成して、通学中にMDウォークマンで聴く、そんなナウな学生生活を送っていた。そうそう、初めて買い与えられたパソコンもMDスロットを搭載(!)したVAIOだった。

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これ、PC→MDへの転送は出来るんだけど、MD→PCへの転送は出来なくて、デジタルデータに移行するときに大量のMDを抱えて途方に暮れたなぁ。俺が中学時代に作ったオリジナルMDを欲しがる人、どこかにいないかなぁ。

それから「早すぎたiPad」として知られるソニーのエアーボードっていうガジェットも持ってた。タッチパネル液晶を持ち、ネットにメール、テレビに写真が楽しめるという代物。

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もちろん当時はWi-Fiなんて存在しなくて、ベースステーションとのネット接続は独自規格の56Kモデムだった。時はアイコラ全盛。上の方から徐々に画像が表示されていく宇多田ヒカルに興奮していたのが懐かしい。

 

という長過ぎる前置きを経て、徐々に再始動が本格化していく宇多田ヒカルに興奮している今日この頃。またいつか会えたら素敵と思いませんか。

ちなみに、母親はいまだにエアーボードを使ってメールの送受信をしているらしい。今も僕らを繋いでる56Kの独自規格。ということです。