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No Direction Home

デ・ヘア、マタ、ナニ、フェライニ、ペルシー、ビュットナーあたりが揃って先発したら正真正銘のマンチェだと思うので、もはやCL圏も厳しいことだしモイーズにはそのへんを期待したいところ。クリシー、ジルーを擁するアナルとの対決はまさにフィールドオブドリームス!(今期もうホームゲーム終わってるけど)

 

 

ボブ・ディランの「No Direction Home」という映画を見るまでもなくですね、芸事に対してのお客さんの保守性というものが大昔から存在しました。それはまぁ芸事というのは、観る側にとってはですね、自分の歴史の投影、まぁ自分史ですね、自分史の投影、自分史の対象化、そうした結果であります。歌舞伎とか伝統芸能、落語なんかの世界ですとですね、必ず、先代は良かった、お前の芸なんて先代に比べれば、というそういう、昔は良かった、とかですね、まさにそうした自分史の反映としての芸事の評価というのが昔からございます。

ですが、古い世代というのは新しい世代に対する寛容さというのを常に持っていなければならないと僕は常に考えております。若い世代がですね、いつの時代も続々と生まれてきます。我々古い世代はそれらの若い新しい才能を見出して、抜擢し、助けて、日の当たる場所へ引っ張りだしてあげなければいけません。

然るに、多くの業界人、それから耳の肥えた聴衆とかお客さんですらもですね、自分に馴染みのある、自分たちにとっての、すなわち自分史の反映としてのですね、一流、有名ミュージシャン、そうしたブランドを金科玉条と崇めまして、昔は良かった、俺たちの時代は良かった、それに引き換え今の若い者は、としばしばそういうことを口にします。

私のライブに関しましても、ここ十年間青山くんがいませんので、んな青山純がいないライブなんて、という方がですね、少なからずおられること、私がよく承知しております。

別にそういう方々にですね、再び来ていただこうとは思いませんが、ただひとつはっきりさせておかなければならないことは、今まで私を手伝ってもらったドラマー、上原裕、村上秀一、そして青山純、そして現在のパートナーであります小笠原拓海という、みな優れて卓越したドラマーであります。他にもスタジオやライブで縁のあった林立夫さん、高橋幸宏さん、知己はないけれどもですね、最近はですね、吉田佳史さんとか玉田豊夢さんとか、素晴らしいドラマーは今も昔もたくさん存在します。彼ら一人ひとりの誰もがそれぞれにプレイヤーとしての個性や特殊性というものを有しておりまして、それらはもとよりも優劣の比較対象にはならないものであります。従ってまぁ、ファンの贔屓、あるいは贔屓の引き倒し、何度も申し上げております自分史の反映、そうした次元でのですね、誰が誰より優れているとか、劣っているとかというそうした無意味な評論家はもとより、私は何の興味も持っておりません。


友達の死というのは大変に悲しいし、残念な現実ですけれども、それでも我々は生きていかなければならないし、音楽を続けていかなければなりません。青山純の数多の名演というものはしっかりと記録に残されております。残された者は、去っていった者、人々のですね、想いを受け継ぎながら音楽を続けていかなければならないと思っています。

 

素晴らしい。古い世代が新しい世代に対して寛容さを持つべきだというのは本当にその通りだと思うし、もっと言えば新しい世代というのは古い世代に対してシニカルな視線を持っていて欲しいなと思う。今時の10代には、「銀杏BOYZ最高!オザケン最高!」とか言ってるアラサーやアラフォー連中を冷ややかに見つめながらceroなりシャムキャッツなりミツメを聴いていて欲しい。