巨乳について本気出して考えてみた

飲み会の席で、貧乳の女の子に「やっぱり巨乳が好きですか」と問われて、ふと巨乳について真剣に考えてみた。
現代日本では「男は巨乳好き」という一般論が浸透していて、それが彼女の「やっぱり」という副詞に表れてるのだけど、改めて問い掛けられると自問自答してしまう。

実用的なアドバンテージとしては、揉み心地が良いとか、挟んでもらえるとか、せいぜいそんなもん。世の男を虜にするほどの魅力とは思えない。ヤれないFよりヤれるA。じゃあ両方ヤれそうだったら?うーん。
「巨根が好き」という女はほとんどが実用的な意味で言ってると思うし、だから彼女たちは街ですれ違う男のモノのサイズには興味がないんだろうけど、「巨乳が好き」という男はそうじゃない。街で巨乳とすれ違えば、とりあえず見る。目の前に谷間があれば、たとえ指一本触れられなくても、興奮してしまう。AVやグラビアでも同じ。

僕らが本当に覗きこんだり触れてみたいのは、もっと本質的な、女らしさとか愛情とか、そういう女性性(じょせい-せい)なんだと思う。でもそれは微笑んでくれるだけで伝わってくることもあれば、セックスしても伝わらないこともあるような、形のないあやふやな「何か」だったりするわけで。スマホ片手に情報社会を生き急ぐ僕らは、てっとり早く手軽に女性性を感じたくて、ついつい有形のシンボルに本質を押し込めてしまう。こうして自分勝手な論理で仕立てあげられた代替品が巨乳という罠。

もう一度、自問自答してみる。俺は巨乳が好きなのか。たぶん違う。俺が好きなのは、AとかCとかFとか、そういうのじゃなくて、GとかHとか、そういうのでもなくて、もっと巨大な、そう、Iなんだ。